どうも、ティッシュ管理官である。
警察に憧れていたアラフィフおじさんとして、今回はぜひ後世に残しておきたい重要資料を提出したい。
テーマは「ビデオテープ時代のAV鑑賞」と「レンタルビデオ屋あるある」である。
今の若い世代は、スマホを開けば数秒で任務開始できる。
だが昔は違った。
AVを見るまでに、店へ行く、選ぶ、借りる、持ち帰る、家族の目をかいくぐる、再生する、巻き戻す、隠す、という一連の工程があった。
もはや鑑賞ではない。立派な捜査活動である。
- ビデオテープ時代のAV鑑賞は、再生前からすでに勝負が始まっていた
- レンタルビデオ屋あるある1。入店した瞬間から平静を装う
- レンタルビデオ屋あるある2。AVコーナーに入る時だけ妙に呼吸が浅くなる
- レンタルビデオ屋あるある3。選んでいるふりをしながら、実は猛烈に迷っている
- レンタルビデオ屋あるある4。隣に人が来ると急に別の棚を見始める
- レンタルビデオ屋あるある5。レジに持っていく時がいちばん落ち着かない
- ビデオテープ時代のAV鑑賞あるある。家に着いてからが本当の戦いだった
- ビデオデッキあるある。見たいシーンに全然止まれない
- 画質は粗いのに、なぜか興奮は濃かった
- 鑑賞後の巻き戻しがやけに虚しいのも、ビデオテープ時代のあるあるだった
- 結論。レンタルビデオ屋とビデオテープ時代は、男を少しだけ強くしていた
ビデオテープ時代のAV鑑賞は、再生前からすでに勝負が始まっていた
まず知ってほしい。
あの頃の男にとって、AV鑑賞は家で始まるのではない。店に向かう時点で始まっている。
「今日は借りるのか、借りないのか」
この時点で、すでに心はざわついている。
財布の中身を確認し、知り合いに会わない時間帯を選び、なるべく自然を装ってレンタルビデオ屋へ向かう。
この慎重さは、若者にはなかなか伝わらないだろう。
今は検索履歴を気にする時代だが、当時は“入店しているところを見られること”自体がリスクだった。
現場に向かうだけで緊張感がある。
これが昭和から平成初期にかけての男のリアルである。
レンタルビデオ屋あるある1。入店した瞬間から平静を装う
レンタルビデオ屋に入った男は、だいたい全員ちょっと不自然である。
平静を装っているが、装い切れていない。
本当は一直線に目的の棚へ行きたい。
だがそれをやると露骨すぎる。
そのため最初は一般映画コーナーを軽く見ているふりをする。
洋画の棚の前で「ふむ」みたいな顔をする。
アクション映画の背表紙を眺めながら、頭の中では完全に別件を考えている。
あれはカモフラージュである。
誰も見ていない可能性が高いのに、なぜか全員やる。
男とはそういう生き物である。
レンタルビデオ屋あるある2。AVコーナーに入る時だけ妙に呼吸が浅くなる
いざ目的のコーナーへ入る時、男は少しだけ緊張する。
堂々と入ればいいのに、なぜか一瞬だけ周囲を確認する。
知り合いはいないか。店員は見ていないか。近くに女性客はいないか。
確認項目が多い。
そしてAVコーナーに入った瞬間、急に空気が変わったように感じる。
別に違法行為ではない。
にもかかわらず、なぜか隠密行動みたいになる。
あの独特の“後ろめたくはないが堂々ともしにくい空気”は、ビデオテープ時代特有の文化である。
レンタルビデオ屋あるある3。選んでいるふりをしながら、実は猛烈に迷っている
AVコーナーで背表紙を眺める男たちは、一見すると落ち着いている。
だが内心はかなり忙しい。
「これにするか」
「いや、もっと良いのがあるかもしれない」
「この女優は気になる」
「でもパッケージ詐欺の可能性もある」
「タイトルは強いが中身はどうだ」
このあたりの葛藤は、今のサムネ選びと本質的には同じである。
ただし昔は情報が少ない。レビューもない。試し見もない。
つまり、ほぼパッケージとタイトルで勝負するしかない。
判断材料が少ない中で一本を選ぶあの感覚は、まさに賭けである。
レンタルビデオ屋あるある4。隣に人が来ると急に別の棚を見始める
これは非常に多い。
AVを選んでいたはずなのに、隣に誰か来た瞬間、急に動きが変わる。
さっきまで真剣に女優名を追っていた男が、突然「別に今ここに興味ありませんが?」みたいな顔になる。
少しずれる。
別の棚を見る。
タイトルを見ていたのに急にジャケット全体をぼんやり眺める。
完全に挙動不審である。
だが本人は必死だ。
この“縄張りは守りたいが、見られたくもない”という複雑な心理こそ、レンタルビデオ屋文化の核心である。
レンタルビデオ屋あるある5。レジに持っていく時がいちばん落ち着かない
苦労して一本を選んでも、まだ任務は終わらない。
最大の山場はレジである。
店員が無表情だと逆に怖い。
妙に丁寧でも落ち着かない。
知っている店員だと最悪。
顔なじみのおっちゃん店員にケースを渡す時のあの何とも言えない気まずさは、一種の通過儀礼だった。
しかも後ろに他の客が並んでいると、さらに気まずい。
「誰もお前のことなんか見ていない」と頭では分かっている。
だが心はそうは言わない。
男は会計の数十秒で、必要以上に人生を見つめ直すのである。
ビデオテープ時代のAV鑑賞あるある。家に着いてからが本当の戦いだった
ようやく借りて帰宅しても、まだ勝利ではない。
ここから本番である。
テレビは家族共有。
ビデオデッキも共有。
部屋に自由な再生環境がない。
つまり「いつ見るか」「どこで見るか」「誰が今いるか」を細かく読まなければならない。
父がニュースを見ている。
母が録画予約を気にしている。
兄弟が近くをうろついている。
この状況でブツを持っている男の緊張感は相当なものだ。
昭和から平成初期の男たちは、家族の生活導線を異様に正確に把握していた。
あれは観察力ではない。生存本能である。
ビデオデッキあるある。見たいシーンに全然止まれない
ようやく再生できても、今のような快適さはない。
ビデオテープはとにかく不便である。
早送りすると行きすぎる。
巻き戻すと戻りすぎる。
停止すると画面が乱れる。
狙った場面でピタッと止めるのは、かなり難しい。
だから男は何度も調整する。
「そこじゃない」
「惜しい」
「今のところだった」
と、一人で微妙なタイミングに苦しむ。
現代の10秒スキップ機能に慣れた世代には想像しづらいが、当時のAV鑑賞には地味な職人技が必要だったのである。
画質は粗いのに、なぜか興奮は濃かった
テープ時代の映像は、今と比べればかなり粗い。
ノイズはある。輪郭は甘い。色味も怪しい。
それでも当時の男たちは普通に熱くなっていた。
これは不思議だが事実である。
情報が少ない時代には、一つ一つの刺激が重い。
いまのように無限に選べないからこそ、目の前の一本に真剣になれたのだと思う。
不便さが、逆に集中力を高めていたのかもしれない。
鑑賞後の巻き戻しがやけに虚しいのも、ビデオテープ時代のあるあるだった
借りたテープは巻き戻して返す。
この文化を知る人間は、もうかなりのベテランである。
問題は、任務完了後の巻き戻し時間が妙に虚しいことだ。
さっきまであれだけ熱を上げていたのに、最後は無言でテープが巻き戻るのを見守る。
この時間が実に切ない。
男はふと思う。
「俺は今、何をしているのだ」と。
だがそれでも巻き戻す。
なぜなら礼儀だからである。
この妙な律儀さもまた、あの時代の男らしさであった。
結論。レンタルビデオ屋とビデオテープ時代は、男を少しだけ強くしていた
ティッシュ管理官として断言する。
ビデオテープ時代のAV鑑賞は、不便だった。面倒だった。気まずかった。
だが、そこには今にはない妙な味わいがあった。
レンタルビデオ屋へ向かう緊張。
AVコーナーでの不自然な平静。
レジ前での謎の覚悟。
家族の気配を読みながらの再生準備。
巻き戻しまで含めた一連の任務。
あの頃の男たちは、ただAVを見ていたのではない。
数々の障害をくぐり抜け、一本のテープにすべてを託していたのである。
それは不便な時代だった。
だが同時に、一本への集中力と執着が今よりずっと濃い時代でもあった。
現代の男は便利さを手に入れた。
その代わり、あの独特の緊張感と達成感は失った。
どちらが幸せかは分からない。
だが、レンタルビデオ屋の暖簾をくぐる
あの変な緊張だけは、たぶん一生忘れないだろう・・・
the end…


